スタジオジブリが初めて3DCGに挑戦した『アーヤと魔女』。公開後、SNSや映画レビューサイトでは「ひどい」という厳しい声が目立ちました。
ジブリブランドへの期待が大きかっただけに、批判的な意見が集まってしまったのでしょう。また、謎めいたキャラクター・マンドレイクの正体や、アーヤの父親との関係についても気になるところです。
この記事では、作品が酷評された理由と、マンドレイクにまつわる謎について詳しく見ていきます。
『アーヤと魔女』がひどいと言われる主な理由
多くの観客が期待を裏切られたと感じた背景には、いくつか理由があるようです。
3DCGのクオリティへの不満
ジブリといえば、繊細で美しい手描きアニメーションが代名詞です。アーヤと魔女がひどいという評価の要因は、この3DCG表現にありました。
初挑戦という事情は理解できるものの、ピクサーやディズニーなど海外の3DCGアニメと比較すると、どうしても見劣りしてしまいます。キャラクターの髪型はクレイアニメ風で、動きもやや硬い印象を受けました。
エンディングで流れた手描きイラストの美しさを見て、「やっぱりジブリは手描きで見たかった」と感じた人も少なくないでしょう。
スケールの小ささとストーリー展開
ジブリ作品といえば、壮大な世界観と冒険が魅力の一つです。『風の谷のナウシカ』や『天空の城ラピュタ』のような、広がりのある物語を期待していた観客は多かったはず。
ところが『アーヤと魔女』は、ほとんどが魔女の家の中だけで話が進みます。序盤で「12人の魔女」や遠くに見える船など、冒険を予感させる要素が出てくるのに、結局それらは深掘りされません。
上映時間も83分と短く、物語が膨らむ前に終わってしまった印象です。
未回収の伏線が多すぎる問題
『アーヤと魔女はひどい』という声で特に多かったのが、「途中で終わった感じがする」という意見でした。
物語は、アーヤがベラやマンドレイクと打ち解け始め、「これから面白くなりそう!」というタイミングで終了します。まるで連続ドラマの序盤だけを見せられたような、消化不良な気分になるのです。
回収されなかった謎も山積みです。12人の魔女との関係、バンド「EARWIG」の過去、魔女の掟や魔女団について…。続編があるのかと思いきや、その予定もありません。
主人公アーヤのキャラクター性
主人公に共感できないと、作品への没入感は大きく損なわれます。アーヤは「人を操る(アヤツル)」という名前の通り、計算高くずる賢い性格です。
大人と話すときの演技じみた態度や、どんな状況でもへこたれない強気な姿勢は、子どもらしさよりも小悪魔的な印象を与えます。
通常なら、こうした性格の主人公が挫折を経て成長する展開になるはずです。しかし短い上映時間の中で、アーヤは大きな失敗も成長もないまま物語が終わってしまいます。
感情移入しづらいキャラクターが、変化のないまま終わる。これでは「ひどい」という評価も避けられないでしょう。
『アーヤと魔女』の制作背景
酷評される一方で、この作品には知っておくべき裏側の事情があります。
ジブリの新たな挑戦として
確かに完成度には課題がありましたが、老舗スタジオが新技術に挑戦した姿勢は評価に値します。宮崎吾朗監督は、リアルさよりも独自の表現を追求しました。
また、制作時期は宮崎駿監督の『君たちはどう生きるか』と重なっていたため、主要スタッフはそちらに集中していました。手描きアニメーションを望んでも、人材確保が困難だったという事情もあったようです。
実は原作通りの展開
「話がこじんまりしている」「中途半端に終わる」「アーヤが可愛くない」といった批判は、原作小説の特徴をそのまま反映したものです。
原作者ダイアナ・ウィン・ジョーンズは、この作品を遺作として残しました。本来は加筆予定だった原稿が、そのまま出版された経緯があります。つまり、ある意味「未完」の作品なのです。
それでも宮崎駿と宮崎吾朗が映画化を選んだのは、アーヤの「したたかさ」「へこたれない心」「負けてたまるかという力強さ」に魅力を感じたからでした。子どもたちを励ますメッセージとして、価値があると判断したのでしょう。
宮崎駿監督の評価
企画を持ち込んだ宮崎駿監督は、完成した作品を大絶賛。普段は他人の作品をほとんど褒めない駿監督が、手放しに褒めたいと絶賛するのは極めて異例です。
息子である吾朗監督が、父の意図を見事に形にしたということなのでしょう。
マンドレイクの正体とは?
物語に登場する大男・マンドレイクは、多くの謎に包まれています。
小説家だけど魔法使い?
表向きは小説家として紹介されるマンドレイクですが、明らかに普通の人間ではありません。魔法のミミズは魔法がある場所にしか入れないのに、アーヤが送ったミミズはマンドレイクの部屋に届きました。
これは彼も魔法を使える存在である証拠。デーモンを操る姿からも、魔女(男性形で言えば魔法使い)であることは間違いないでしょう。
怒ると変身する特殊な力
マンドレイクは煩わしいことが大嫌いで、不機嫌になると目の奥に炎が灯ります。アーヤの部屋から魔法のミミズが送られてきたときは、全身を炎に包んで激怒しました。
体には鱗や大きな爪が描かれており、怒りによって姿が変化する特殊な能力を持っているようです。
アーヤの母親との過去の関係
アニメ版では、マンドレイクがアーヤの母親と同じバンド「EARWIG」のメンバーだったことが明かされます。ドライブ中にアーヤの母親がマンドレイクに顔を近づけるシーンがあり、マンドレイクも顔を赤らめていました。
二人は恋人関係だったのか、それとも単なるからかいだったのか。少なくともマンドレイクが好意を抱いていた可能性は高そうです。
マンドレイクはアーヤの父親なのか?
この疑問は、多くの視聴者が抱いたものです。
父親説が生まれた理由
作品に登場する成人男性キャラクターは、マンドレイクくらいしかいません。そのため自然と「彼がアーヤの父親では?」という推測が広がりました。
バンド時代のアーヤの母親との関係、そして孤児院にいるアーヤをわざわざ引き取りに来たことも、父親説を後押しする要素です。
父親ではない理由
結論から言えば、マンドレイクは父親ではない可能性が高いでしょう。
もし彼がアーヤの父親だと知っていたなら、ベラがアーヤに厳しく接することはないはず。ベラはマンドレイクを恐れており、彼の子どもとわかっていれば態度は違ったでしょう。
また、アーヤという名前は「人を操る」という意味です。物語のテーマは、他人である大人たちを操ってうまく生きていくこと。もしマンドレイクが父親なら、単なる甘い親子関係になってしまい、作品の意図が薄れます。
まとめ
アーヤと魔女がひどいという評価には複数の理由がありました。ただし制作背景を知れば、新技術への挑戦や原作への忠実さ、子どもへのメッセージなど、評価すべき点も見えてきます。
マンドレイクについては、魔法使いであり、アーヤの母親の元バンド仲間という正体が明らかに。父親説も浮上しましたが、物語の構造から考えると、その可能性は低いと言えるでしょう。
賛否両論ある作品ですが、こうした背景を知った上で改めて観ると、新たな発見があるかもしれません。








