【ジブリ】ゲド戦記の原作者が激怒したって本当?映画と原作の違いはどこ?

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【ジブリ】ゲド戦記の原作者が激怒したって本当?映画と原作の違いはどこ?

2006年に公開されたスタジオジブリの映画『ゲド戦記』をご存知でしょうか。宮崎吾朗監督の初監督作品として話題になった一方で、原作者のアーシュラ・K・ル=グウィンが激怒したという噂があります。

実際のところ、この話は本当なのでしょうか。今回は、『ゲド戦記』原作者が激怒したのか、また映画と原作の違いについて詳しく見ていきましょう。

目次

ゲド戦記の原作者が激怒した理由

まず、原作者が本当に映画に対して怒ったのかを確認してみます。

映画への批判は事実だった

アーシュラ・K・ル=グウィンは確かに映画『ゲド戦記』に対して強い不満を表明しました。彼女は映画の試写会で宮崎吾朗監督と対話した際、「これは私の本ではない。あなたの映画です」と発言したのです。

この発言の背景には、映画が原作の本質的なテーマを理解せず、表面的な要素だけを取り入れたという彼女の失望がありました。特に、原作が持つ「バランス」「成長」「自己受容」といった哲学的なメッセージが薄められてしまったことに強い不満を抱いていたのです。

制作過程でのコミュニケーション不足

ル=グウィンが怒った理由の一つに、制作過程での十分な意思疎通がなかったことが挙げられます。彼女は映画の制作にほとんど関与しておらず、完成した作品を見て初めて自分の意図とは大きく異なることを知ったのです。

原作者としては、自分の作品の世界観やキャラクター設定が大幅に変更されることに納得がいかなかったのも当然でしょう。

映画と原作の大きな違いとは

では、映画と原作にはどのような違いがあったのでしょうか。

主人公の設定が根本的に異なる

最も大きな違いは主人公の設定です。原作では魔法使いゲドが中心人物として描かれますが、映画では王子アレンが主人公となっています。

さらに映画では、アレンが父親である国王を殺害するという設定が加えられました。これは完全に映画オリジナルの要素で、原作には存在しません。原作のアレンは父親と良好な関係を築いており、このような暗い過去は持っていないのです。

キャラクターの性格と役割の変更

映画では多くのキャラクターの性格や役割が原作から変更されています。

原作のアレンは誠実で内面的な成長を遂げる青年として描かれていますが、映画では内向的で暴力的な面を持つキャラクターに変えられました。この変更により、原作が伝えたかった成長の物語が大きく歪められてしまったのです。

また、ゲド自体の存在感も薄くなり、原作では重要な導き手としての役割を果たしていたにも関わらず、映画では脇役的な扱いになってしまいました。

ストーリー構成の問題点

映画は原作の複数巻から要素を抜き出して一つの作品にまとめようとしましたが、これが大きな問題を生みました。

原作の各巻はそれぞれ独立したテーマを持ち、丁寧にキャラクターの成長を描いています。しかし映画では時間の制約もあり、各キャラクターの深掘りが十分にできていません。その結果、登場人物たちの行動や心理に説得力が欠けてしまったのです。

原作の魅力が伝わらなかった理由

原作『ゲド戦記』シリーズの魅力はどこにあるのでしょうか。

哲学的なテーマの深さ

原作の大きな魅力の一つは、単なる冒険物語を超えた哲学的な深さにあります。特に「真の名前」の概念や、魔法を使うことの責任、そして世界のバランスを保つことの重要性など、深いテーマが織り込まれています。

しかし映画では、これらのテーマが表面的にしか扱われず、原作の持つ奥深さが伝わりませんでした。魔法の意味や重要性についても十分な説明がなく、観客にとって理解しにくい内容になってしまったのです。

キャラクターの成長物語

原作では各キャラクターが抱える内面的な問題と向き合い、それを乗り越えていく過程が丁寧に描かれています。特にゲドの成長物語は多くの読者に愛され続けています。

映画ではこの成長の過程が短縮され、キャラクターの変化に説得力が不足していました。観客にとって感情移入しにくい構成になってしまったのです。

宮崎駿監督の反応と家族の確執

興味深いことに、原作者だけでなく宮崎駿監督も映画に対して複雑な感情を抱いていました。

試写会での出来事

宮崎駿監督は息子の初監督作品である『ゲド戦記』の試写会で、途中で席を立ってタバコを吸いに行ったという逸話があります。上映後には「俺は自分の子供を見ていた」「大人になっていない」といったコメントを残しました。

これは映画の主人公アレンの弱さに、息子である吾朗監督自身の姿を重ね合わせて見てしまったからだと言われています。

父子の価値観の違い

宮崎駿監督の作品では、困難に立ち向かう強い意志を持った主人公が描かれることが多いです。しかし『ゲド戦記』の主人公アレンは受動的で、最後まで自分の意志で行動することが少ないキャラクターでした。

この違いが、監督としての価値観の違いを浮き彫りにしたのかもしれません。

映画化の難しさと今後への教訓

映画『ゲド戦記』には、いろんな問題があって、そこから考えさせられることも多いです。

原作リスペクトの重要性

何よりも大切なのは、原作への深い理解とリスペクトです。単に人気作品だからという理由で映画化するのではなく、その作品が何を伝えたいのか、どのような価値を持っているのかを十分に理解する必要があります。

ル=グウィンが怒った最大の理由も、自分の作品の本質が理解されていないと感じたからでしょう。

制作者と原作者の対話

また、制作過程での原作者との十分な対話も欠かせません。原作者の意図を無視して勝手に改変を加えることは、作品への冒涜にもなりかねないのです。

まとめ

『ゲド戦記』の原作者が激怒したのは事実でした。その理由は、映画が原作の本質的なテーマを理解せず、キャラクター設定やストーリーを大幅に改変したことにありました。

原作の持つ哲学的な深さや、キャラクターの丁寧な成長描写が映画では十分に表現されず、結果として原作ファンにも一般観客にも満足のいかない作品になってしまったのです。

この出来事は、優れた文学作品を映像化する際の難しさと、原作者との対話の重要性を改めて教えてくれます。今後の映画化作品では、このような問題が繰り返されないことを願うばかりです。

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