【ジブリ】君たちはどう生きるかが気持ちが悪い?アオサギの正体は?

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【ジブリ】君たちはどう生きるかが気持ちが悪い?アオサギの正体は?

宮崎駿監督の約10年ぶりの作品であり、米津玄師が主題歌を担当して話題となった『君たちはどう生きるか』。公開当初から多くの注目を集めた一方で、ネット上では「気持ち悪い」という感想も数多く見られました。特に印象的なのが、作品の象徴的な存在でもあるアオサギの描写です。

今回は、なぜこの作品が「気持ち悪い」と評価されるのか、そしてアオサギの正体について詳しく解説していきます。

目次

『君たちはどう生きるか』は気持ち悪い?

多くの観客が抱いた違和感には、以下の理由があります。

視覚的な不快感が強烈すぎる

従来のジブリ作品といえば、美しい自然や愛らしいキャラクターが印象的でした。しかし本作では、あえて観客に不快感を与えるような描写が随所に登場します。カエルが全身にまとわりつくシーンや、大量のインコが襲いかかる場面など、見ているだけで背筋がゾクゾクしてしまうような表現が多用されています。

特に印象的なのが、魚の解体シーン。巨大な魚の内臓があふれ出る様子は、観客にとって強烈すぎる映像となりました。こうした描写は、単なる視覚的なインパクトを狙ったものではなく、物語の核心部分と深く関わっているのです。

従来のジブリらしさとの大きなギャップ

『となりのトトロ』や『魔女の宅急便』のような温かみのある世界観を期待していた観客にとって、本作の異質さは衝撃的だったのでしょう。分かりやすいストーリー展開や明確なメッセージ性を持つ従来作品とは一線を画し、抽象的で解釈の余地が多い内容になっています。

このギャップが、観客に「何か違う」「居心地が悪い」という感覚を与えているのでしょう。宮崎駿監督自身の内面的な変化や、作品に込められた個人的な思いが色濃く反映されているため、観客との距離感が生まれてしまったのかもしれません。

物語の難解さが生む消化不良感

本作は一度見ただけでは理解しづらい複雑な構造を持っています。現実世界と異世界の境界が曖昧で、時間軸も複雑に絡み合っているため、物語を追うだけでも一苦労です。

明確な答えや解決策が提示されないまま物語が進行するため、「結局何が言いたかったのか分からない」「スッキリしない」という感想を抱く人も多いでしょう。この消化不良感が、作品全体への違和感や不快感につながっているのです。

アオサギの正体は?

物語の鍵を握る存在として登場するアオサギですが、その正体に驚いた観客も少なくないでしょう。

鳥の姿に隠された中年男性

アオサギは一見すると普通の鳥のように見えますが、実際には鼻の大きな中年男性が鳥の姿に変身していたのです。この衝撃的な設定は、観客が抱いていた先入観を覆すものでした。

歯を持つ鳥という不自然さや、口の中から突然現れるおじさんの存在は、強烈な印象を残しました。この意外性こそが、アオサギに対する「気持ち悪い」という感想の元になっているのでしょう。

異世界への案内人としての役割

アオサギは主人公・眞人を異世界へと導く重要な役割を担っています。しかし、単なる善意の案内人ではなく、時には眞人をからかったり、困らせたりする複雑な性格を持っています。

この二面性が、アオサギというキャラクターに深みを与えています。完全に信頼できる存在でもなく、完全に敵対する存在でもない。そのあいまいさが、観客に不安感や違和感を与える理由となっているのです。

風切りの7番という弱点

アオサギには「風切りの7番」という特定の羽に弱点があります。眞人がこの羽を使って作った矢で射抜かれたことで、アオサギは鳥の姿を保てなくなってしまいました。

この設定は、物語における重要な転換点となっています。眞人がアオサギの弱点を知り、実際に攻撃することで、二人の関係性が大きく変化していくのです。

アオサギと眞人の関係性の変化

最初は敵対的だった二人の関係は、物語が進むにつれて徐々に変化していきます。

対立から協力へ

異世界に落ちた際、船乗りのキリコからアオサギとの仲直りを諭された眞人。二人は協力して失踪した夏子(眞人の継母)を探すことになります。共通の目標に向かって行動することで、お互いへの理解が深まっていくのです。

この過程で、アオサギの真の性格や眞人への想いも明らかになります。単なるいたずら好きではなく、眞人を成長させるための試練を与えていたのかもしれません。

友情の芽生えと別れ

物語の最後、現実世界に戻った眞人にアオサギは告げます。「下の世界で体験した記憶はじきに忘れる」と。そして最後の言葉として「あばよ、友達」と言い残し、姿を消していきます。

この別れのシーンは、二人の間に確かな友情が芽生えていたことを示しています。最初の敵対関係から真の友情へと発展した関係性は、物語の重要なテーマの一つでもあるのです。

気持ち悪さに込められた深いメッセージ

作品全体を覆う「気持ち悪さ」には、実は重要な意味が込められています。

現代社会の生きづらさの表現

カエルに覆われる恐怖やインコの襲撃など、作中の不快な描写は眞人の内面的な苦悩を視覚化したものと考えられます。学校でのいじめや母親を失った悲しみ、新しい環境への不安など、現代を生きる私たちにも共通する「生きづらさ」が表現されているのです。

現実と向き合う勇気の物語

大叔父は異世界で眞人に自分の後継者になるよう誘います。これは現実逃避という選択肢を意味しています。しかし眞人は、苦しくとも現実世界に戻ることを選択します。困難な現実から目を背けずに立ち向かう勇気の大切さが、この選択に込められているのでしょう。

観客への問いかけとしての不快感

宮崎駿監督は、あえて観客に不快感を与えることで「どう生きるか」という根本的な問いを投げかけています。心地よいだけの物語では伝えられない、人生の複雑さや困難さを表現するために、この「気持ち悪さ」が必要だったのかもしれません。

まとめ

『君たちはどう生きるか』が「気持ち悪い」とされる理由は、視覚的な不快感と物語の難解さにあります。特にアオサギの異様な描写や複雑な正体は、観客に強烈な印象を残しました。

しかし、この「気持ち悪さ」が作品の核心部分でもあります。宮崎駿監督は私たちに、快適で分かりやすい物語を送るのではなく、自分自身の生き方について深く考えるきっかけを与えようとしているのでしょう。不快な体験を通してこそ、本当に大切なことが見えてくる。そんなメッセージが、この作品には込められているのかもしれません。

初見では理解しづらい作品ですが、時間をおいて再度観ることで、新たな発見があるかもしれません。「気持ち悪い」という感想も含めて、それぞれの受け取り方が尊重される、そんな奥深い作品なのです。

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