『千と千尋の神隠し』に登場する謎のキャラクターといえばカオナシ。
白いお面に全身真っ黒な出で立ち。
周囲の賑わいに反するギャップとその得体の知れなさに恐怖を覚えた方も多いのではないでしょうか。
今回はそんなカオナシの正体、誕生秘話について調べてみました。
カオナシとは何者?謎の正体を調べてみた
カオナシの正体については色んな説があり、主に代表的な3つの説について解説します。
- カオナシはサタン説
- カオナシは神様説
- カオナシは欲望の擬人化説
それぞれ見ていきましょう。
カオナシの正体はサタン?
サタンとは、キリスト教においては堕天した悪魔の最高位。
人間を神の道からそらせようとする力が擬人化されたものとされています。
カオナシは作中、湯屋で砂金をばら撒き豪勢な料理や薬湯を堪能することにしました。
当然従業員たちは目をギラつかせながらカオナシにめいっぱい媚びを売ります。
砂金を沢山貰えたら働かなくてもいいわけですからね。
少しでも多く砂金を貰おうと必死です。
そんな欲望につけこみ堕落や怠惰へ導こうとする姿はまさにサタンです。
なによりこのサタン説については、なんと作中にそれを匂わせるシーンが存在します。
千尋とカオナシが沼の底駅に向かうために電車に乗っているシーン。
数々の踏切や街が車窓に流れていく中、一瞬ピンク色のネオン看板が映りますがそこに書かれている文字がすばり「サタン」なのです。
隠されたメッセージを解き明かしてほしいという、監督から視聴者に対する、ちょっとした遊び心なのかもしれませんね。
カオナシの正体は神様?
サタン説に続いて紹介するのが、カオナシ神様説です。
ヒントとなるワードが作中序盤、ここで働きたいという千尋に対し湯婆婆から放たれた言葉にありました。
ここは八百万(やおよろず)の神様達が疲れを癒す為のお湯屋であると。
つまり、イレギュラーな存在である千尋のような人間は除いて、あの湯屋に来るのはみんな神様なのです。
また、それを裏づけるようにカオナシは砂金(その後土くれになりましたが)や薬湯の札を手のひらから作り出すという、人ならざる力を持っています。
ハク(饒速水小白主)やオクサレ様(腐れ神)はそれぞれ名のある川の神様でしたので、カオナシも神様であるならば、「カオナシ」も恐らく呼び名であり、きっと神様としての名前があるのでしょう。
それでは、なんの神様なのでしょうか。
カオナシは相手が今欲しいと思うものを察知し作り出すことができ、一方で自身も欲望をむき出しにします。
大いに食べ傲慢であり、思う様にいかず怒りを露わに千尋を追いかけ回します。
人の欲望を叶え、自分の欲も満たす。
このことからカオナシは「欲望の神様」ではないかと言われています。
一方で、千尋に関しては食べ物や砂金を渡そうとしても「欲しくない。要らない」と塩対応をされていますから、欲望を正確に察知できる訳ではなく、
これをあげれば喜ぶだろうという自分本位の考えしかできないため、神様としては不完全な存在なのかもしれません。
カオナシの正体は人間の欲望を擬人化したもの?
ここまでサタン説や神様説を紹介してきましたが、宮崎駿監督はこのカオナシの正体について明確な説明をしていません。
ただ一言、カオナシは誰の心にもいる。という旨のコメントをされてます。
つまり、カオナシの正体は人間の欲望を擬人化したものとも言えます。
相手の欲望を察知して望むものを生み出す力を持ち、自身もまた欲望に忠実である。
その根底にあるのは孤独や居場所がないことへの恐怖です。
作中カオナシは「千と一緒にいたい」「寂しい」と繰り返し呟いています。
人間の欲望も同様に、「誰かに必要とされたい」「誰かと一緒にいたい」という感情が根本にあるのではないかと言われています。
「寂しいからといって欲望のままに行動していては、周りから人は離れてしまう」という人生に置ける大切な教訓を、作品やカオナシを通して教えてくれたように思います。
カオナシは顔があるのになぜカオナシなの?
カオナシという名前には、2つの由来があるとされています。
1つ目は”お面をつけて本当の顔を隠している”から「カオナシ」です。
実際カオナシはお腹部分に口があるため、顔部分についているお面は真の顔ではないのでしょう。
本当の顔は作中では登場しませんでした。
2つ目は”顔=素性・居場所が無い”から「カオナシ」です。
よく聞く言い回しとして「顔が割れる」「違う顔を持つ」「顔が利く」というものがありますが、どれも顔面そのものを指す言葉ではありませんよね。
そういった意味で、カオナシは素性や存在について曖昧で千尋に会うまでは居場所もなかったからまさに「カオナシ」と言えるでしょう。
カオナシはなぜ千尋が好きなのか?
「食べちゃいたい位好き」…なんて言葉をよく耳にしますが、カオナシは作中、本当に千尋を食べようとしました。
もはや好きという言葉では言い表せない何かを感じますよね。
では、カオナシがそこまでに至ったことにはどんな理由があるのでしょうか。
前述の通り、カオナシの欲望の根底には孤独や居場所がないことへの恐怖がありました。
他の人に存在を気づかれることもなく、湯屋の庭先から賑やかな様子を一人寂しく眺めるしかありません。
そこに千尋が現れ、戸口を開けてくれたおかげでカオナシは湯屋へ入ることができました。
この時点で千尋はカオナシにとって大切な存在となったのでしょう。
薬湯の札を千尋に渡して喜んでもらおうとします。
しかしその一方で、千尋から否定された時は怒りを露わに千尋を食べようとします。
作中で描かれているカオナシの特徴として、体内に取り込んだ生き物の声を話すことができる。というものがあります。
また、取り込まれた側は死ぬのではなく丸いボールのような状態でカオナシの中で生きていました。
つまり、完全に吸収するのではなく体内で共存する様な形になります。
カオナシが千尋を食べようとしたのも、寂しい・一緒にいたいという強い思いの最終形態だったのかもしれません。
食べたらいつまでも一緒に居られる。人とのコミュニケーションが上手く取れないカオナシは、そんな風に思ったのかも知れません。
そんなカオナシですが作中終盤、銭婆の家にハクが千尋を迎えに来たシーンでは銭婆の言葉に従いあっさり家に留まることを選びました。
このことから、千尋に対する強い執着は消え、銭婆の家に居場所ができたことへの喜びや安堵が優先したことがわかります。
これまで一人ぼっちで居場所がなかったカオナシも、これからは銭婆と一緒に編み物をしたり温かいご飯を食べて幸せに暮らすことになるのでしょうね。
カオナシにはモデルがいた!宮崎駿監督が明かしたエピソード
カオナシについては、長年モデルがいるのではないかと噂されてきました。
その中でも1番モデルとして浮上していたのが…米林宏昌監督。
ご存知の方も多いと思いますが、米林宏昌監督といえば代表作品として『思い出のマーニー』や『借りぐらしのアリエッティ』があります。
現在はジブリを退社し、他の会社にて活躍中です。
そんな監督のお顔がこちら。
うーん…似て…目があって、口があるところは共通してますよね。
実はこの噂について、なんと米林宏昌監督本人が言及されています。
三鷹の森ジブリ美術館にて2015年に行われた、「三鷹の森アニメフェスタ2015ー〜アニメーション古今東西 その12~」にて、トークセッションに出席された米林宏昌監督。
そこでこんなお話をされています。
米林宏昌監督がまだジブリにいた頃、カオナシのシーンを描いていた時。
それを見に来た宮崎駿監督が「麻呂(米林宏昌監督)じゃないか!」と言ったことから、いつの間にか自分がカオナシのモデルである。
という説が広まっちゃったんだとか。
人の口に戸は建てられないと言いますが、一体どうやって広まったんでしょうか(笑)
まとめ
カオナシとサタンとの共通項、人間の欲望を擬人化した存在など、色んな説に触れましたが、あなたはどの説が気になりましたか?
見返してみるときっと新しい発見があるかと思います。
まだ見た事がない方もしばらく見ていないって方も、ぜひステイホームのお供に『千と千尋の神隠し』いかがでしょうか。
不思議な世界があなたを待っていますよ。