火垂るの墓は1945年の第二次世界大戦をもとにしている作品です。当時の情景を生々しく宮崎駿監督は描いており、視聴者はあまりにも生々しい光景にショックを受けてしまうほどでした。
そのため、火垂るの墓は2018年以降放送禁止になってしまったそうです。
さらにその理由の1つとしては、あの有名なドロップ会社が販売している「サクマ式ドロップ」のシーンが問題だったようです。
はたして、その気になるシーンとは一体どのようなものだったのでしょうか?
私自身の想いを含めながら、ご紹介させて頂きたいと思います。
火垂るの墓が2018年以降放送されなくなった
火垂るの墓は1988年4月16日に映画館で公開されました。
同時期に公開されていた「となりのトトロ」と一緒に公開され、長編2本体制で公開されました。
当時のアニメ映画界では二大巨頭の代表作となりました。
そこから火垂るの墓は知名度が上がり「金曜日ロードShow」で、私たちはお茶の間で観る機会が増えました。
テレビで初めて放送されたのが翌年の1989年でした。
このとき視聴率も一気にうなぎ上りで、20%は余裕で超えていました。
そこから2001年までは高視聴率が継続され、最高で21%を記録していたとのことです。
そんな人気を博していた火垂るの墓ですが、2007年以降の視聴率は一気に下がってしまい、7%~9%まで落ち込んでしまいました。
その理由は一体何なのでしょうか?
高畑監督が2018年4月5日に逝去したことにより、火垂るの墓は急遽「追悼放送」をしましたが、このときの視聴者も7%いかなかったようです。
これ以降、放送されなくなったとのことです。
火垂るの墓は、第二次世界大戦をモチーフに描かれており、主人公の清太は妹の節子と厳しい時代を生きたお話となっています。
最後清太が東京駅で生きを引き取るシーンは、当時幼い私は「戦争はなんて残酷なんだろう」と思い知らされたほどでした。
火垂るの墓は放送禁止になったと思われる理由
ここからは、火垂るの墓は何故放送禁止になったか?と思われる理由を幾つかまとめてみました。
サクマ式ドロップが問題に
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まず1つ目の大きな理由として、どうやらサクマ式ドロップが問題になってしまったようです。
このドロップを作っている大手企業「佐久間製菓」は、昔からある有名なお菓子会社です。
しかし戦時中の材料不足により、一時廃業となってしまいました。
その後日本は終戦を迎え、佐久間製菓の兄弟が分離して会社を各々立ち上げ、それぞれお菓子の商品名を「サクマ式ドロップ」「サクマドロップ」と明記し作ることになりました。
ここで商標を巡り「火垂るの墓」が巻き込まれた結果、放送されなくなったと言われています。
ところがサクマ式ドロップからは、節子のイラストが入った缶のドロップが現在も発売されているという驚愕の事実がありました。
・・・何だか、怖いですね。
反戦映画だったから
そして2つ目の大きな理由が、反戦映画だったからとのことです。
火垂るの墓は第二次世界大戦真っ只中を作中で描いています。
このことから火垂るの墓が反戦映画であるとみなされ、国の軍事法に対して「反対しているのか?」と敵視されてしまったことにより、放送禁止に至ってしまったと考えられています。
今現在も世界では、人種、宗教、政治、経済などで戦争をしていますが、この頃の日本と同様「勝った方が正義」となりますので、やはり何かしらの圧力があったのかもしれませんね。
視聴率の低迷
ジブリシリーズは「金曜日ロードShow」で極めて、視聴率が取れることで有名です。
しかし火垂るの墓はここ最近、全く伸びなくなり現在の2021年では、全く放送されなくなりました。
やはり長年、視聴率の低迷が懸念されてしまったことも原因のようです。
私個人としては「現代の日本だからこそ火垂るの墓は放送されるべきアニメ」だと思っております。
戦争の時代を生きてきた人たちは、日々少なくなってきました。
その当時を生きてきた人たちは、平和に暮らしている私たちに「当時はどんな様子だったか?」と貴重な体験を教えてくれました。
ですが、その人たちも今は寿命を全うされ、戦争を体験された方々の想いは日々薄れてきています。
ここで火垂るの墓を観て当時の様子を振り返り、私たちの心の中にいつまでも決して忘れないようにしていければと私は思っております。
火垂るの墓は「平和は犠牲の上に成り立っていることを忘れさせないアニメだな」と改めて思いました。
怖い、トラウマになるシーンが多い
そして4つ目の理由が、視聴者に大きなトラウマを与えるシーンが多いことです。
私も未だに火垂るの墓で「怖い」シーンを観るとトラウマになりかけてしまいますが、その中でも負傷者の人たちが「痛い痛い痛い」と作中で言っている姿は本当に観ていて痛々しいです。
戦争が行われている国は、人を駒としか思っていないため、人の命の価値が非常に低いことが挙げられます。
軍の医者も大怪我をした人は切捨て、助かりそうな人や兵士(駒)を片っ端から懸命に治療していました。
火垂るの墓でもとても緊迫した状態が伺えられ、清太は瀕死のお父さんを発見した際、信じられないという表情をしていました。
戦争だけでなく、私たちも身近な大切な人がいつ死ぬか分かりません。
火垂るの墓は、確かに怖いシーンやトラウマになる描写が多いですが、私は「大切な人たちもこうなる」というメッセージが入っている気がしてなりませんでした。
やはり、火垂るの墓は現代の私たちに大切なことを教えてくれる作品です。
まとめ
今回は「火垂るの墓」についてご紹介させて頂きました。
日本は終戦後「今後戦争をしない」という憲法を制定し、私たちは今まで平和に日本で暮らしてきました。
しかし今後もこのような平和が、いつまで続くか分かりません。
私は素敵なことを教えてくれる火垂るの墓に感謝し、日々このような大切な気持ちを忘れず、生きていこうと思いました。
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